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胡麻の友 ON LINE MARUGOMA SOUL BROTHERS まるごま

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4.DICTIONARY

【用語解説】

独断と偏見のこのページは当事者、あるいは身内にしかわからない言葉が使われています。

そこである程度の解説集を用意しました。これであなたも「まるごま」通。


■まるごま
「MARUGOMA SOUL BROTHERS」の略。丸い胡麻ではない。またマルコメ味噌でもない。また「まるでごまかしベンチャーズバンド 」「まるでごまかしおちゃめなぞうさんチーム」の略でもある。

■愛知県の東三河
1970年代後半から1980年代の東三河地方は優れたミュージシャンを数多く輩出していた。私が知っているだけでも「沖の家」「モンゴリアンチョップ」「うし」 「まじにロックンロール」「サウザンドスクラッチ」「Excited」「Boogietop」等(何か大事なバンドを忘れているような気がするが気にしないでいこう)全国に通用するハイレベルな地域であった。 個々のバンドの特徴は割愛します。(めちゃくちゃ長くなるので)

■かごやはうす/かごやオフィス/かごやホール
豊川稲荷で有名な豊川市にあったライブハウス。当時は名古屋のグレイトフルユッカやE.L.Lと肩を並べるライブハウスであった。有名なミュージシャンもほとんどブッキングする。
ヒゲで巨漢のマスターとマネージャーでもあった渡辺氏(わっつー)、キッチンのえーと誰だっケ?そうそう河合さんと83年くらいからいるPAのあきらの4人で切り盛りしていた。ケチャップぎとぎとのスパゲッチィ(パスタではない)がうまかった。
87年に豊橋市に「かごやホール」として進出。事務所「かごやオフィス」も併設する。まるごまは 「かごやオフィス」の2番目のタレントである。マスターの道楽と不動産への投資失敗がたたり91年(だと思う)倒産。また、誠に残念ながら、渡辺氏、わっつーは2006年10月16日に永眠なされました。 合掌

■サウザンドスクラッチ
「かごやオフィス」の第一番目のタレント。まるごまのよき?ライバル。Vo/B:安藤、G:後藤、Dr:ささべ、Key:ゆかこの4人グループ。ハードロックをベースにしたかっこいいバンド。
85年に「かごやレーベル」でレコード(CDはまだなかった)デビューもしている。
Voの安藤と章治は高校の同級生である。
ちなみに「サウザンドスクラッチ」は千回こするという意味。遅漏・・・

■うし
80年代前期のTFAが誇る看板バンド。 「Highway」「Ticketto the Star」は名曲。YAMAHAのLMC(ライトミュージックコンテスト。サザンもここから出た・・んだっけ?)の本選大会にも出場、レコードににもなっている。音楽活動、楽曲制作の目標であった。2000年に20周年をむかえ、最近また新曲をひっさげて活動を再開している。このバンドを語ると長くなりそうなのでそれはまた別の機会に・・・

■愛知大学豊橋フォークソング研究会(TFA)
TFAはToyohashiFolksong Associationの略。フォークあり、ロックありの音楽ならなんでもありのサークル。歴史は古くいつから始まったかは定かではない。軽音楽部とともに東三河、西静岡のミュージックシーンを牽引し、レベルアップしてきた。まるごま在籍時代は「赤いTシャツ」「黄色いトレーナー」で有名だった。 あいさつは24時間営業中なので「おはようございます」「おやすみなさい」とまるで芸能界。 部員間の色恋沙汰も芸能界なみだった。
部室には録音もできる完全防音スタジオがあり、24時間利用可能。PA設備も揃っており本格的なコンサートもできる。 部室で生活することもできる。
年2回の定期演奏会、学祭の「Rock Inn」(現在は中止)やコンサートのプロモート等活動は多岐に渡る。
打ち上げコンパの時は豊橋市民も恐れるほど盛り上がる。出入り禁止の居酒屋もあった。コンパの後の部室の倉庫には「ときわアーケード」で拾ってきた観葉植物や電飾看板が自然増殖する。大学側からは学業成績不良の要注意サークルとして部員登録しただけでブラックリストに載る。年度末には演劇研究会、軽音楽部、囲碁部とともに幹部が学生課に呼び出しを受け要注意人物の成績を見せられ、戒告を受ける。連続留年者排出記録は軽音楽部に次いで2番目だった。(1985年時点)OB会も活動が盛んで一生TFAであり、またそうでないと寂しい。それくらい人生の中で重要な位置付けになりうるサークルである。

■まるでごまかしベンチャーズバンド
まるごまの結成当時のバンド名これを略して「まるごま」と呼ばれるようになる。 「うし」のベーシスト「ひぃちゃ北川氏」が練習を見て「まるでごまかしのベンチャーズやなっ!」と言ったのがはじまり。そのまんまである。
当時のまるごまは杉真理やJ-WALKなどのコピーをしていてついでにロックンロールもやるというまるで節操のないバンドだった。

■青二才コンサート
TFAの1年生部員が行う1年生の1年生による1年生のためのコンサート。これによりコンサートやライブを行う基本を学ぶ。先輩たちはただ見てるだけでその後の打ち上げコンパに全精力を注ぐ。
ハッキリ言って人からお金をとって見せられるようなしろものではない。でも楽しかった。完全自己満足マスターベーションのコンサートである。

■つのだ
まるごま結成当時のギタリスト。白いフェンダーテレキャスターを持っていた。本名「榊原・・・なんとか」。
「つのだ」といわれたのは「つのだじろう」が書くキャラクターにくりそつだったから。あまり動かない覇気のないまるで浮遊霊のような存在だった。

■としき
本名「大竹俊樹」まるごま2代目ギタリスト。「つのだ」が抜けてギタリストが一人になったまるごまに加入。ただ単に学祭のライブハウスで演奏するJ-WALKの「タクシードライバー」のギターが弾きたかっただけとも言われる。ギターのテクニックははっきり言ってうまい今夜からでもプロとして食っていけるだろう。TFAと軽音楽部をかけもちしていた数少ない人間。
楽器もギターとベースをかけもちしている。その証拠に1993年某TFAの先輩の結婚式の2次会ではまるごまのベーシストとしておどりさんの代役を本人以上につとめる。

■MARUGOMAの生理
ドラムの元さんが「まぁ解散しまいか」とダダをこねることを言う。年に数回発情期のように定期的に言いはじめるのでこの名がついた。なぜか夏は言わない。
ただ他のメンバーがその言葉を無視するので毎回うやむやに終わる。

■まるでごまかしおちゃめな象さんチーム
まるごまにしんやが加入してメンバーが安定した時期にようやくごまかしのベンチャーズサウンドから脱皮したので改名した。単にギターがストラトとセミアコに変わったから音が変わっただけ。
「ぞうさんチーム」は「象印家族そろって歌合戦」からとったのはいうまでもない。この「ぞうさんチーム」が後のロゴマークの元となる。
ただライブの情報誌やパンフレット制作者には長過ぎる名前が枠にはいりきらんと不評だった。

■コンテスト荒らし
まるごまほどコンテストに無縁のバンドはなかったであろう。
出れば出るだけ落とされた。挙げ句の果てには審査員に「コンテストをなめるな!」とまで言われる。これがきっかけでYAMAHAの音楽振興会(ポプコンとかやってたところ)と縁を切る。ライブで生きることを勝手に決意。

■Dance in the night drive
ライブに生きるといってもまるごまにはやる曲がなかった。ついには「REO SPEED WAGON」まで手を出す節操の無さ。
そんななかひでぶが思いつき、即興で作った曲がこの曲。仕上げたら結構かっこよかった。ただイントロが「うし」の「Highway」と酷似していることから盗作疑惑が持ち上がる。事実盗作だったため、あまり演奏していない。音源も残っていない。

■細い目をした女
まるごまをコピーバンドからオリジナルバンドへ脱皮させた曲。
もともとはひでぶが部室内の楽器室で思いついたギターリフとアン・ルイスの「ラブラブトレイン」を組み合わせた曲。
合宿の練習中「K・ほるま21氏(現くるぶし氏)」が気に入り、気をよくしたメンバーが本気で仕上げた曲。
YAMAHAの音楽振興会もやがて目をつけポプコン用に録音させてくれと依頼がある。縁を切ったはずなのにノコノコ出ていって録音してついでにポプコンにエントリーしてしまった。東海大会決勝前に落ちる。

■小栗の政変
それまでたばこを一切吸わなかった、ベースのだっちおどり氏が突然たばこを吸いはじめる。 理由は「ミュージシャンはたばこだよ」というわけのわからないものであった。あまりにも衝撃的だったのでこの名が付いた。同義語で「小栗の反乱」もある。■小栗の反乱
小栗の政変の少し前、同級生の下宿で雑魚寝をしていたおどり氏にホモ気のあった先輩のT氏が耳をなめまわしていた。あまりにしつこかったのでキレたおどり氏は「てめぇいい加減にしやがれこの野郎!先輩だと思っていい気になりやがって!」と反乱。
T氏はその後おどり氏には手を出さなくなった。T氏はこれがもとで近くのキャバレーに通うようになったらしい。(56年組OB談)

■TFAの年間行事(夏の定演・冬の定演・学祭・合宿)
・夏の定期演奏会「Goody Summer」TFAの基幹行事。毎年7月に行われる。赤いオリジナルTシャツを身にまとい、豊橋市内でチケットを売り歩く。チケット販売の志気を高めるために「チケット販売奨励テープ」なるものを徹夜で制作し、みんなで聞いて気持ちを一つにまとめる。
学内では昼休みに恒例のビラ配り。さぼったり遅刻すると怒られる。
朝は豊橋駅でビラ配り。普段昼まで寝ている生活者にはキツかった。ただその後の愛知大学横の「A-one(日本語読みで「あ-いち」)」のモーニング(サラダ・サンドウィッチ・ゆで卵付き250円)を食べるのが好きだった。部員が誰でも出演できるわけでは無くちゃんと部内で選考会が行われ、立候補、投票によって決められる。年に2回TFAが大真面目になるときでもある。

・合宿

当時は 毎年志賀高原、1週間であった。費用は35,000円。この費用を捻出するためにみんなアルバイトをしたり、親に借金をしたり、機材を売ったり、大学の学生金庫(愛知大学は学生に無利子で10,000円まで無条件にお金を貸してくれる制度があった。ただし友人の保証人付き。10,000円以上は学生課長の面接あり。当時保証人の名義貸しが横行した。)でお金を借りたりしていた。
24時間音楽漬けで練習をする。練習の合間の肝試しや花火大会が圧巻。ただし、不純異性交友は厳禁であった。

・学祭(ROCK INN、ライブハウス、プロミュージシャンのプロモート)
学祭では日銭稼ぎのライブハウス経営、大金稼ぎのプロモート、オールナイトのロックコンサート「ROCKINN」の主催があった。 基本的に大学から支給される予算ではやっていけないので学祭でどれだけ稼げるかが重要なポイントであった。

・ライブハウス「SUNSET HOUSE」
教室を改装し朝から晩まで部員総出でミュージシャンをしたり、水割りを作ったり、宣伝したりそれはそれは忙しくも楽しい日々であった。のべ出演バンドは100を超え、ライブハウスに行ったことのない地元の小中学生の体験の場でもあった。



・ROCK INN

今では中止されているが、オールナイトのロックコンサートである。
学生会館食堂で行われ県内、県外は問わず有名ミュージシャンがやってくる。地元アマチュアバンドの憧れの的でもあった。
唯一軽音楽部と協力して行うイベントで、トリは軽音とTFAの売り出しバンドがつとめるのが伝統。
このコンサートのゴールデンタイム(20:00~22:00)に出演するのがステイタスとも言われ、いくら主催者といえども簡単には出演できないのである。
またオールナイトなのでヤンキーとかがいたりしてシンナーやシャブ、けんかなどは当局より厳重に通達があるので、その警備は「愛知大学応援団」「愛知大学少林寺拳法部」など恐いところに酒(剣菱)一升で頼んでいた。

ただおかげで特に大きな問題は無くこの日はオールナイトなので周辺の出店団体(居酒屋「赤鬼」など)の売上を伸ばしたことはいうまでもない。

はっきり言って応援団長に頼みに行く時の方が恐かった。

・プロコン
大金を稼いだイベントで「RCサクセション」「宇崎竜堂」「悲しい色やね大ヒット中の上田正樹」「CHANCEが大ヒットしたときの白井貴子」「飛ぶ鳥を落とす勢いのあった爆風スランプ」
などを呼び、大成功をおさめた。

・冬の定期演奏会WINTER JAM

TFAの基幹行事。毎年12月に行われる。黄色いオリジナルトレーナーを身にまとい、豊橋市内でチケットを売り歩く。
チケット販売の志気を高めるために「チケット販売奨励テープ」なるものを徹夜で制作し、みんなで聞いて気持ちを一つにまとめる。
学内では昼休みに恒例のビラ配り。さぼったり遅刻すると怒られる。

といったように基本的には夏と同じ。

だが寒い・・・ トレーナーでは寒い。で、現在ではオリジナルブルゾンになっているらしい。

また冬の定期演奏会の実行委員長は次期会長がなることがほとんどである。したがって章治もTFAの会長だったのである。


■りえ
まるごまの初代キーボードは女性であった。名前は「りえ」通称「しらりえ」他にも「さとりえ」がいた。「元さんがいじめる」が口癖だった。短大卒業のために脱退。確か脱退する時にご両親にみんなであいさつにいったような・・・立派な応接間でブランデーを飲んだ記憶がある。

■胡麻の友
まるごまのファンクラブ。というよりもライブに来てくれたお客さんにアンケートを書いてもらい、その人の住所に勝手にDMを送りつけてファンクラブの会員としてしまった。会費もなし。運営費はギャラから出ていた。 DMは元さんが持っていた「プリントごっこ」で制作。後にはがきサイズからB4判に変わる。ただこれのおかげでまるごまの人気は急上昇していった。最終的に会員数は300名を超えていた。しんやの奥さんも会員だったことを忘れてはならない。

■FM静岡の公開録音
まるごまの曲がはじめてメディアに乗った記念すべき公開録音。番組名は「四つ池ライブコネクション」。 一緒に出たバンドはYAMAHAがポプコンミュージシャンを集めて無理矢理作った「NEWS」。とにかくうまかった。TFAからはスーパーアクションキーボーディスト「はちょ」氏が参加していた。
「はちょ」氏は私の楽曲制作の師匠でもある。電波関係はこの後出演してはいないが、雑誌にはちょくちょく出る。

■ヤマハリゾート「寸座ビラ」
事務所の紹介で始めたアルバイト。1週間ぐらいだと思ったが豊橋から1時間足らずの所にある奥浜名湖のリゾートホテル。従業員宿舎に寝泊まりし、夜だけ20分2ステージの仕事。食べきれぬほどの朝食夕食付き(ごはん、パン、味噌汁、漬け物、サラダ食べ放題)。昼間はプールで遊び放題。ギャラは1日3並び(税込み33,333円)。お客はほとんどいない。ステージ終了後はビリヤードし放題だった。丁度ロスアンゼルスオリンピック開催中で宿舎でクーラーにあたりながらテレビを見ていた記憶もある。

■MARUGOMA SOUL BROTHERS
ライブハウスやイベントに数多く出るようになったのだが、案内のパンフレットに文字数が多くて載せられないことがあったので改名。たまたま「SOUL
TO YOU」という曲をやっていて「SOUL」という言葉の響きと「ブルース・ブラザーズ」がみんな好きだったので「BROTHERS」が由来。略して「M.S.B」マイケルシェンカーブルースとも言っていた。これを期に稼いだギャラでオリジナルステッカー、ポスター、パンフレットを制作。デザインはひでぶが担当。豊橋中に貼りまくった。大学の中にはまだ残っているところもある。「A-ONE」のドアの所にも2000年1月3日現在まだ貼られていた。

またこの頃からリズム&ブルースというよりはコミックバンドの要素が強くなった。

合い言葉は「めざせ吉本!」であった。


■静岡ツアー
静岡駅近くの「モッキンバード」というライブハウスに定期的に出演。静岡ツアーと言う。スピードメーター、ワイパーが動かないワンボックス「日産 ホーミーロング グリーン」に機材と人を積み込み東名を走って行った。PAはかごやのあきらが同行。このころからライブのローディに軽音楽部の「ささぼう」が着く。

■プロモーションビデオ
かごやはうすのマスターが「まるごまはレコードよりプロモーションビデオだな 」の一言からはじまった企画。(「サウザンドスクラッチ」はすでにかごやレーベルからレコードデビューしていた。)曲は 「ジェニーの街まで」「裸一貫~We are Power~」。録音も終わり、ビデオの絵コンテもできあがり、さぁロケだと思った矢先、豊川、豊橋で連続放火事件が発生した。実はその犯人がビデオ制作会社のカメラマンであった。よって企画は行き詰まり、金もあまりなかったのでそのままなし崩し的にボツったのである。

■軽音楽部の「Trip A Day」
軽音楽部主催の野外ライブ。豊橋吉田城で開催。軽音楽部の定期演奏会のようなもの。 気が付いたらなぜかゲストで出ていた 。

■2DAYS
2日連続でライブを行うこと。2日間とも違うことをやる。 2日分のネタを考えるのが結構しんどい。

■かごやはうす人気投票
2ヶ月くらいかけてお客さんに投票してもらう。好きなバンドを1番から3番まで書く方式。 獲得ポイントでランクが変わる。まるごまを2番目に投票する人が圧倒的に多く、事務所の思惑とは別にまるごまが1位になってしまった。コンテストに通った時よりもうれしかった。

■A-ONE会議
大学卒業を控えたこの時期、バンドを続けるかどうかを決めるまるごま始まって以来のおおまじめな会議。 大学横の「A-ONE」という喫茶店で5時間あまり沈黙のまま会議。 続けるかやめるか誰も言い出せないまま時はすぎ、 結局はおどりさんの一言「オレ、たんぼ耕さないかんじゃんね」で決定。おどりさんは家を継がなきゃいけない状況にあったし、メンバーチェンジをして続けることは誰も考えていなかった。マツはまだ3年生、ひでぶは留年決定、他のメンバーは一応就職先が決まっていた。ただあの時、誰かが「続けよう」と言っていたらすべてが大きく変わっていたに違い無い。

いろんなレコード会社から事務所にメジャーデビューの話があったのは事実である。

でもその決定に誰も後悔していない。なぜなら「ピンクレディーで終わるよりはキャンディーズで終われた」からである。


■休業宣言ライブ
2日目の最終日、メンバーはいつものようにかごやはうすに3時入りした。
階段の下まで並んで待っているファンも珍しいことではない。この頃はいつもこうであった。機材をおろし、最初にしたことはテーブルと椅子の片づけであった。そうオールスタンディングライブである。(自分達も手伝うのがいいところだが)それからリハを軽く流し、芸とコントと曲順の確認、弦の張り替えをすまし、とりあえず近くのうどん屋に行く。「たぬコロ6つ」これが合い言葉であった。とりあえずうどん屋の大将やおばちゃんに休業の挨拶を済ませ、となりのパチンコ屋へ。みんなで1000円ほど弾いたあとかごやに戻る。と・・・

なんか様子が違う。客がいつもにも増して多い。まじで多かった。50人入れば一杯のライブハウスに約200人。地元バンドとしては新記録である。

そしてついにラストライブは始まった。ここにラストライブの音源があるが120分テープに入り切って無い。

ライブの時間は約3時間、「裸一貫」にいたっては30分の演奏。ディープパープルのLIVE IN JAPANの「Child in time」より長いぞっ。アンコールは音源が無いので確認できないが10回はあったと思う。

名鉄豊川線の最終に間に合わなかったファンもいた。

こうしていくつもの記録を塗り替え「休業宣言ライブ」は終わった。


■復活ライブ
この年「かごやはうす」が豊橋に進出し、「かごやホール」となった。ひでぶもマツも卒業が決まった。 その「かごやホール」でライブは行われた。1年間休業していたにも関わらず大勢のファンが詰め掛けた。花輪もラストライブの時よりも大きくまるでパチンコ屋の開店みたいだった。この復活ライブは音源も写真も何も無いのでよく覚えていない。見た人がいたらどんな風だったか教えてもらいたいくらいだ。それくらいに記憶が無い。

■人生の曲がりかど
この年しんや、ひでぶ、章治と相次いで結婚した(一応その度にまるごまは二次会で身内の前で演奏はしている)。
それぞれ結婚する時に大量のまるごまのテープの置き場所に困った。そこでそれならCDにしてしまえということで残っている音源を集め、編集しCD化したのである。同時に著作権申請も行い一応CDに入っている曲は著作権が守られている。たまたま当時ポリドールに知り合いがいて格安で頼んだのだった。
要するに置き場所に困ったテープを処理するために作ったのがファーストアルバム「人生の曲がりかど」である。

■沖縄で休業宣言ライブ3枚組みCD発表
20有余年の時を超え、メンバーも不惑の歳を迎え、デジタルが当たり前になった今、残骸のように残っていたテープをついに編集し3枚組みの「休業宣言ライブ」を発表した。ちょうどその頃、章治が沖縄へ単身赴任をしており、たまたまひでぶが沖縄出張もあり、しんや、おどりとともに乱入。みんなで大笑いしながら夜を徹して3枚組みのCDを聞いた。

その時言った言葉が「まるごまっておもしれぇなぁ」だった。

ラストライブの裸一貫は演奏時間20分を超え、1972年ディープパープルが行ったライブインジャパンのスペーストラッキンの19分よりもはるかに面白いと自負している。


■日経おとなのバンド大賞
2008年8月14日、章治からメールが届いた。
「日経おとなのバンド大賞応募しようぜ」というたった1行の携帯メールで応募してしまった。しかも東京予選大会。
2008年9月19日日本経済新聞社より参加賞が届いた。ただし日経はこれだけではなかった。12月18日の日本経済新聞の全国版でMARUGOMAの名前が載ったのだ。
まぁ応募バンドを全部載せただけではあるが・・・記念すべきMARUGOMA全国デビューである。

■27周年中途半端記念ライブ
おどりさんは地元の中学校の同窓会の幹事のため欠席、元さんは自治会長就任のため欠席、マツは仕事一筋のため欠席
そのため初のアンプラグドバージョンで演奏。
「ジェニーの街まで」
「お肌の曲がり角」
「裸一貫」
アンコールで「細い目をした女PartⅢ」以上4曲を演奏
ついでに27周年記念ステッカーも発行してしまった。


■TRIP A DAY 2

2009年8月16日、ついにフルメンバーでの復活である。当日の午後一で集まり、ライブハウスのそばのスタジオで4時間みっちり練習。
22年ぶりに合わせた音は・・・完璧だった。やはり学生時代、勉強もせずに練習ばっかりしていただけの事はある。体が覚えていて元さんのリズムに勝手に反応してしまうのだ。
しかしライブはちょー緊張している。例によってアンプの操作方法がさっぱりわからない。
ささ坊がいてくれてよかった!
ライブは心地よい疲労感を残し、その後の打ち上げでは気持ち悪い残尿感を残し終わった。
泊まったホテルで翌朝サウザンドスクラッチの後藤に会った。
「また一緒にやろうぜ!」この一言がオヤジバンドにさらなる火をつけた。

まぁライブビデオを見てくれればわかるのだが、とにかく楽しかった。その後社会復帰するまでに1週間かかったのは言うまでもない。

ついでに元さんが「まるごまいけるて!東京でライブしまいっ!」と言った事が現実になる可能性は高い。


■軽音移籍疑惑発覚

TRIP A DAY2は愛大軽音学部OB主催のイベントだった。勢いで「まるごまは軽音へ移籍します」と宣言してしまい、軽音OBの先輩に承認されてしまった。

したがってまるごまは愛大TFAOB会と愛大軽音学部OB会に籍をおいている。

まぁ、卒業して20年以上経つんだからどっちでも関係ないし、一緒に同じ時代、音楽をやってきた仲間なのでサークルに関係なくずっと一緒にやっていきたいのである。